しまねの職人

【有限会社 三松堂】お客様と一緒にお菓子を作っていく

〜余計なものを加えずに、菓子は心で作る〜

Vol.32

有限会社 三松堂 阿部 龍太郎さん

鹿足郡津和野町は、島根県の西端に位置し、“山陰の小京都”とも言われる歴史の深い町。
また、この地の産業である石州瓦を敷き詰めた赤い屋根の家々が、山間の中に連なる美しい景色も広がっています。
そんな津和野町に昭和創業の老舗和菓子屋三松堂(さんしょうどう)はあります。
三松堂は昭和26年に創業者・小林萬吉氏が製菓製パン業として創業、その後源氏巻を中心とする和菓子の販売を始められました。
手作りにこだわり、「本当に美味しいお菓子を作ろう」という志のもとに商品作りをされています。
店長の阿部龍太郎さんにお話を伺いました。

三松堂のあゆみ

三松堂が出来たきっかけを教えてください
実は、背景としてはパン屋さんが始まりです。
お店の後ろに小学校があるのですが、小学校の給食用としてパンを作り始めたのがきっかけでした。
その後、創業者が近くの和菓子屋さんに修行に出向き、源氏巻の製造技術を得て、お菓子を作り始めていますので、その頃に和菓子屋に転換していったと僕は考えています。
そこから本格的に和菓子を作り始め、今和菓子屋を営んでいます。

三松堂が大切にしていること

お店の強みについて教えてください
独自の製餡技術で作るあんこが強みです。
あんこ作りは、お菓子作りに対する姿勢が出やすい部分なので、「余計なものを加えず、菓子は心で作る」という当社の経営理念に基づき、余計なものを加えない、丁寧なあんこ作りを心がけています。
三松堂のあんこは本当においしいと、あんこを評価していただけるお客さまが多いので、やっぱりそこは自分たちも胸を張って販売出来ますね。
お勧め商品を教えてください
特に看板商品「こいの里」をお客様に一番召し上がっていただきたいですね。
それはなぜかというと、三松堂の姿勢がわかりやすいお菓子だからです。
4日間かけて作られるお菓子なのですが、やはり看板商品というだけあって歯触りはしっかりしていながら、チョコレートみたいに溶けていくような唯一無二の食感が特徴的なお菓子なんです。
このお菓子は余計なものは本当に入っていなくて、お客様に安心して召し上がっていただけますし、初めて食べた方でもリピーターになってくださる方も多くいらっしゃいますので、ぜひお勧めしたいお菓子です。
「こいの里」はどのようにして出来たのでしょうか?
「こいの里」を作ったのは創業者の小林萬吉会長です。
今は亡き先代の小林萬吉会長が初めて「こいの里」を作り、色々なお店に試作段階の「こいの里」を持って歩いていたようです。
イメージするものは最初からあったようですが、まだ戦争が終わって間もない時期だったため、本当に品質のいいお砂糖や小豆などが手に入らない状況でしたが、それでも歯触りがしっかりあって、でも溶けていくような唯一無二の食感というイメージをずっと表現したくて、試作を繰り返しようやく出来上がったお菓子が「こいの里」でした。
余計なものを入れずに、本当に良質な素材だけでお菓子を作っているものなので、その姿勢が経営理念にも他のお菓子にも生かされているのだなと。
僕はそういうふうに感じてます。
三松堂さんが大切にされていることが他にもあれば教えてください
手作業が多いということですね。
一つの商品を最初から最後、包装までほぼ手作業で行うお菓子が多いです。
余計なものを入れない、余計なことをしないよう心がけると、やはり手作業でお菓子を作る部分が多くなるんです。

これからの三松堂

これからの三松堂について教えてください
お客様にひとときの幸せを感じていただくことがまずは大切だと思っています。
また、最近では持続可能な社会のために、(過剰な)包装をやめています。
パッケージには、なるべく紙や資源を使わないものを選択しています。
また、お菓子作りはやっぱりお客様あってのものです。市場で試作やお客様とのコミュニケーションを繰り返しながら、お客様に満足していただけるようなお菓子をこれからも作っていく。
三松堂が考えてお菓子を作るというよりは、お客様と一緒にお菓子を作っていく。そういうスタイルにこれからはなっていくのかなと感じています。

三松堂について

創業から80年間、創業者の想いであった「本当に美味しいお菓子を作ろう」をずっと守り続けてお菓子作りをされている三松堂。

取材させていただいた時も、一つ一つ包丁で果物を切ったり、お菓子の梱包などを手作業で丁寧に行っていらっしゃいました。
お店の外観はもちろんですが、作業場も非常に整理整頓され、とても清潔感があります。
商品一つ一つに想いが込められた三松堂のお菓子をぜひ一度ご賞味いただきたいなと思います。

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