しまねの職人

【高橋鍛治屋】わかしの技術を残していく

~本物の価値を伝える~

Vol.40

高橋鍛治屋 高橋 勉さん

島根県出雲市にある高橋鍛治屋さん。
野鍛治という農具・包丁・刃物・五徳・行灯・花台等、生活に密着した道具を作っておられます。
出雲地方は、古代よりたたら製鉄が盛んであり、大蛇を退治した後に大蛇の腹から剣が出てきた「ヤマタノオロチ」伝説の元ともなった地域です。 この地方は鉄の産地として知られ、そこで生まれた鉄を使った鉄器づくりが盛んでした。

現在4代目の高橋勉さんは52歳から現在の仕事を継ぎ、挑戦を続けていらっしゃいます。
高橋さんにお話を伺いました。

高橋鍛治屋について

高橋鍛冶屋の始まり

野鍛治「高橋鍛治屋」はいつから始まったのでしょうか?
この近辺の字名を鍛冶屋回りといいます。
たたら製鉄でできた鉄をケラというのですが、そのケラが室町の頃からこの土地にある私の家の角から出てくるんですよ。
だから昔からこの辺りでは鍛冶屋が多かったんじゃないかと思います。

そして、この辺り一帯のたたら製鉄で出たケラを細かく砕く大鍛冶という仕事がここよりも更に山の奥の野尻というところであったんです。
私の祖父の叔父に当たる方が、そこで修行して帰ってきてここで鍛冶屋を始めたそうです。
ですが、病気で倒れてしまって。
その時にせっかく叔父が学んできたからということで、私の祖父が鍛冶屋を引き継ぎました。
それから父が後を継ぎ、私で4代目になります。
職人になったきっかけを教えてください
私自身職人になろうとは思っておらず、最初は企業に就職をしました。
何社か仕事をしていたのですが、当時とても仕事が忙しく全国あちこちへ転勤が続きました。
子供が生まれたのに全然子供の顔を見れなくて、やっぱり地元に帰って子供と一緒に居たいと思い、地元に戻って転職しました。
ですが、そこでも出張続きで忙しすぎたため会社を辞めました。
会社を辞めて家にいる時に、民芸館の記念式典がありましてね。出西窯の多々納さんから「手伝って欲しい」と連絡がありました。
「いいですよ」と言って出て行ったら最後の懇親会の時に司会をやって欲しいと頼まれて。
いよいよ懇親会が終わる際に、全国あちこちから結構有名な先生が来ておられる中で多々納さんから
「高橋鍛治屋さんは心配ありません、この人が後を継ぎますから」って言われてしまって。
私は全然その気もなかったのですが、そのことを家に帰って父に話したんですよ。
そしたら、「お前だったら出来るわ」と言われて、じゃあやるかって始めたのがきっかけです。
職人を突然継ぐことになって大変ではなかったですか?
継いだ時はもう父も高齢でしたから、全部辞める気で取引先が一切なかったんです。
企業で働いている時にいろんな人と付き合いもあったから、話をしてみると、東京の方へ行かなきゃ駄目だというんで、東京にある島根の物産館に行って、展示会を一回やらせて欲しいとお願いしてやらせてもらいました。
その後、百貨店のバイヤーの方とも多くの縁をいただき、それから催事会社も紹介していただき、販路が広がっていきました。
しかし、コロナ前に妻が亡くなり、その後コロナが流行って外に出られなくなってしまいました。
以前百貨店で展示会をやっていたのが幸いして、すごく切れる包丁があるよと噂で聞いた方から「欲しい」とお問い合わせをたくさんいただきました。
手作りの包丁ってのは全国でなくなっちゃったもんですからね。それでなんとかやっております。

商品について

商品について教えてください
商品としては吊り花器、お花を飾る台があります。最初はとても大きいものだったんです。
大きいものを東京の展示会に持って行ったら東京のマンションではこんな大きな高さ70センチにもなるものを飾るとこがないとお声をいただき、そこから小さいサイズを4種類ほど用意しました。
あとは燭台が昔から民藝店ではよく売れていたので作っています。
また、火鉢とか五徳とか、それから農具、その他お客様から言われたものを作っています。
この間も北海道から注文があったんですけど、昆布の根を刈る鎌を作ってくれと。もう全国でもそういう鎌を作ってくれる人がいないから作って欲しいと、10本ぐらい注文を受けたり、そんなことをやっております。

包丁は以前から作っているのですが、昔からあったのは小魚包丁、菜切り包丁それから果物包丁です。
私の代になってから色々種類を増やして作っております。
一本一本手作りで作られている包丁について教えてください
私の包丁は鉄板を折り曲げた中に鋼を一番上の柄の付け根まで入れています。
それを叩いて作るので、薄刃の包丁でも鯖ぐらいの骨を切っても大丈夫な作りになっています。
カボチャも簡単に切れますし、大体この小さい包丁で何でも捌けるようにしております。
包丁の柄も私の手作りです。
1本1本手打ちの包丁で、どれも40年以上持つようにしております。
私の包丁を買われた方には、包丁研ぎのメンテナンスと柄の交換をずっと無料でやっております。

「軽くて使いやすい、あなたの包丁を持ったらもう他の包丁を持てなくなった。とにかくこれが一番いい。こればっかり使ってる」とお客様からは言われます。
最初から最後まで鋼をくっつけるのも砂鉄を使っています。そこまでやって作ってる人はおそらくいないのではないかと思います。
これからの高橋鍛治屋について
鉄に熱を通す「わかし」の技術だけは残したいと思っています。

仮わかしで鉄と鋼をつける時、大体温度は600度ぐらいです。
次に本わかしに入るといっぺんに900度ぐらいまで上げるんです。
ここで注意しなければいけないのが、900度を過ぎると鉄で挟んでいる鋼は溶けちゃうんです。
鉄は1,000度を超しても溶けず、1,200度ぐらいまで上がるので外側の鉄だけを見ていると中の鋼が溶けています。
更に難しいのが鉄と鋼が同じ温度じゃないとくっつかないんです。温度計がないので鉄の色を経験則で、目で見て見極めるしかないんです。
この技術は実際に経験なんです、温度管理も全て経験なんです。
経験なしでひょこっと入門して温度が何度だからこうするということはできないんですよ。
一回無くしちゃうと、もう復活が難しい技術なんです。

今、こういう本物っていうのが無くなってきているんですよ。
切れなくなったらもう捨てちゃって、新しいのを買う。そんな感じが多いでしょう。そうじゃない、1本買ったらずっと自分が使って次の代に渡せるものを作っていきたいです。
包丁は直そうと思えばずっと直して使っていけるんですよね。だから、まず本物を見て欲しい。

以前、島根の百貨店で匠の工芸展っていうのがあったんです。
本物の、全国の手作りの職人ばかりを集めて展示会をやっていました。
今はやっていないのですが、職人さん方からも「また何とかして復活してくれんか」「せっかく島根でご縁ができたから何とか続けてくれんか」って言われてて、今やる方法をちょっと考えているところなんです。
だからどうしてもやっぱり本物っていうのを残していくのが私の仕事かなと思ってます。

高橋鍛治屋について

野鍛治という生活に密着してきたものづくり、「わかし」の技術をたやすことなく伝え続けたいとお話しされた高橋さん。
数値だけでは表すことのできない技術を会得していくことの難しさと重要性、本物を残していきたいという強い想いをお持ちでした。

代々受け継がれていく技術でお客様からの要望に応えるものづくりは、現代に大切な考え方だと感じます。
この取材を通して高橋さんの強い想いと技術の継承は、ただ製品を作るだけでない、本物の価値を見つめ直す機会を与えてくれました。

プロフィール

PAGE TOP