しまねの職人

【袖師窯】袖師窯の軌跡と日常

~地元に根付く伝統と、人々の生活に溶け込む器づくり~

Vol.47

袖師窯 尾野友彦さん

袖師窯は、島根県松江市にある窯元です。現在は5代目の尾野友彦さんが伝統を受け継いで、築100年以上の建物に工房と展示スペースを構えています。
地元産の粘土を使用し、使いやすさを追求した日常生活に馴染む器を制作しています。

地釉薬や柿釉、藁白釉などを用い、掛分や刷毛目といった技法で仕上げられる作品は、シンプルながら温かみを感じさせるのが特徴です。
袖師窯の生活の変化に合わせた柔軟なデザインは、使う人の暮らしを想う誠実さを感じさせます。その姿勢が、袖師窯の魅力そのものです。
5代目の尾野友彦さんにお話を伺いました。

袖師窯について

袖師窯について教えてください
開窯は明治10年です。初代はこの近くの布志名という窯場で、職人をしていまして、その後現在の場所で独立して窯を開いたという経緯があります。基本的には食器、茶器など日常使いのものを作ってます。
現在は私と兄、40年以上働いている職人、私の同級生の4人で作っています。
袖師窯の器はどのような素材を選んでいますか?
主に地元の材料を多く使って焼成して、日常生活に溶け込みやすいようなデザインを特徴としてます。
粘土はこの近所のものなのですが、そこは今開発されて住宅地になっています。
開発される前に採らせてもらった粘土を山の方に確保し使っています。
袖師窯の器が生まれる流れ
まず形を作る工程は、カップなどの丸いものは轆轤(ろくろ)で、角皿など丸くないものは石膏型を使って、粘土を成形し、少し半乾きぐらいになった状態で削って仕上げます。
その時に取手をつけたり、急須とかの口をつける装飾をしたり、櫛目(くしめ)とかの模様を付けたりして、その後に800度で一回素焼きをします。素焼きをしたものに、絵付けや釉薬に浸し、最後に1300度ぐらいでもう一度本焼きをします。そうして品物ができます。
袖師窯の5代目になったきっかけとそれからの変化を教えてください
5代目になったのは、家が家業としてやってたから、というのが正直なところですね。
そんなに継ぎたいと思ってはいませんでしたし、絶対継ぎたくないとも思ってませんでしたけど、自然に継承して26、7年目位になります。

10年ちょっと前にうちの父親が亡くなってから、代表でやるようになると、よりお客さんの顔はよく見えるようになってきました。
何を必要とされているのかとかが見えるようになると、それが品物に反映してくるのかなっていう感じはします。
品物にそんなに大きな変化はないつもりですけど、この10年の品物を見ると結構変わってるのかもしれないですね。
これを新しくしましたっていうのは、そこまでないですが。

大事なのは、やっぱり「使いやすさ」なのかなとは思います。
「使いやすさ」は人によるので、聞こえてくる声やその時の自分の好みを反映していると作品が少しずつ変化しているんだと思います。
民芸の器だからこうというのはないですし、器はこうでなきゃいけないっていうのも特にないとは思います。
焼き物は小さい頃から触ってこられたのでしょうか?
焼き物を作ると思って触ってはいなかったです。土で遊んでいる程度でした。ものづくりがすごく大好きっていう少年ではなかったですけど、焼き物ってやり始めると結構いっぱい工程があるんですよ。色々することがあるので、退屈しないで意外と面白いですね。

成形する作業もそうですけど、釉薬の調合とか、粘土づくりとかの材料を作ったりもするので、そういうのも含めると結構色々とあるんですよね。そういうのを考えてると結構面白いですし、やってたらそれなりに楽しめますね。
作陶の中で感じる楽しさや喜びとはどのようなものですか?
作ってて楽しいところはたくさんあるので、どれか1つの工程ってことはないですけどね。
結構作っている工程もたくさんあって出来上がるまで長いんです。
何かを作品づくりで試してみてから3ケ月~半年後くらいに結果が分かるんです。その時にああ、こうなったんだって作品をみるのは面白いですね。
結局、最終的に焼けあがったものを使ってみないと色々試した効果が分からなかったりするんですが、その結果が分かった頃には他のことを試してたりもするんですけどね。

袖師窯について

袖師窯の物語は、土と炎、そして人の手が紡ぐ長い歴史の中にあります。その歴史には、粘土をこね、轆轤を回し、釉薬を塗り、1300度の窯で焼き上げる、日々の地道な工程が詰まっています。これらの作業は、使う人の生活に溶け込む器を生み出すためのプロセスであり、職人たちが繰り返してきた営みです。

代々受け継がれる想いは、決して派手ではなく、どこか控えめで、肩ひじ張らず自然体であることが印象的でした。「こうでなくてはいけない」という固定観念に縛られることなく、その時々の必要に応じて柔軟に変化しながら、長い時間をかけて袖師窯の姿が形作られてきたのだと感じます。

尾野さんの言葉からも、ものづくりが「退屈しない」という楽しさと、結果が分かるまでの時間を含めた奥深さが伝わってきました。それは、焼き物という仕事の醍醐味であり、同時に難しさでもあるのでしょう。

今後も袖師窯が、地域の土や素材と共に、使う人の日常に寄り添う器を作り続けていくことを願っています。
その器が、使う人々の生活にさりげなく彩りを添える存在であり続けますように。

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